トルピー日誌 

日常は幸せに囲まれている!?

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

1976年 7月27、 28日の日記

夏休みです。 昔の子供は何をやっていたでしょうか。 昭和51年にタイムスリップ!


 7月27日 火曜  晴れ

 (昆虫採集)


 今日、昆虫採集でした。 かすや君とやんやんと組みました。 バスに乗って行きました。 コミュニティセンターのバスの中が人でいっぱいになりました。馬追温泉に行きました。 僕はモンシロチョウとバッタとトンボを取りました。 かすやくんの足にカナブンがつきました。 かごの中に入れました。 そしてお昼にバスで帰って来ました。
 


 7月28日  水曜 くもり一時雨のち晴れ

 (クワガタ)


 今日、おとうさんとハエやカを殺す薬を配りました。 そしたらマンションの壁にアカアシクワガタのメスがくっついていました。僕は急いで取りました。 

 

おとうさんの手伝いをしたのかな。 



 
 昆虫採集は町が企画した行事で先生の引率のもと子供が沢山参加した。 夏休みの欠かせない行事は昆虫採集だ。 なかでもクワガタ、特にミヤマとノコギリは最高峰だったがなかなか見つけられなかった。 たぶん、このくらいの時代からクワガタがデパートで売られ始めるなんてニュースになった頃ではないだろうか? 都会ではクワガタが売ってるんだ?と驚いたもんだ。 

 お父さんと配った薬は白い粉の「DDT]である。 プロレスの技ではない。 この粉をくみ取り便所に撒くのだ。結構、恐ろしい事をしていたもんだ。 
スポンサーサイト

ちょっと過ぎちゃったけど日記

休みに入る直前の日記。 昭和51年 7月21日 水曜 晴れ


 タイトルなし(多分書き忘れてる)


 今日 学校に行ってイスにすわったら秋田さんが「空手習おうかなあ」と言いました。 何になるのかな。それから僕が休んでいる時「ぽんこつレース」がありました。 僕の車が1等になりました。 僕がやりたかった。1m18cmも走りました。




 自分でやれなくて残念だったな。自分でやったらもっと行っただろうか。賞状を貰った時どんな気分だった。
 
解説  空手を習おうかなと言った秋田さんは女の子である。 当時、空手を習う女子は相当珍しかった。 女子の中でも一番背が大きく「女番長」というあだ名で怖かった印象だったが高校になった時、一度だけ地下鉄の中で再会した。 大きかった印象はがらりと変わって色白で可愛い女になっていた。 凄く気恥ずかしくまともな挨拶もしないまま別れた。 


 ぽんこつレースとは図工の時間に作ったゴム動力の紙工作の車でそれを一堂に会し走行距離を競った。 ワシはその日学校を休んでいたので次の日学校に行くと皆や先生から「優勝したぞ」と教えられた。 思いもしない朗報に物凄く嬉しかった。 いつもマメな篠原先生は賞状を作ってくれ、表彰してくれた。 わしは鼻高々だった。 いつも生徒の為に工夫してやる気を出させてくれる最高の先生だった。 

 

タイガーマスクは本当に居た! 友とは? 

2月に離婚して以来、節約生活を続けているものの、税金や国保の金額の高さに生きる希望も無くしかけていました。 収入も少ないのに国保41万だよ!まったく・・・・ これで生きて行けと言うのだから全くふざけている・・・

 そんな我が家に大きな段ボールが着いた。 遠く本州からの贈り物である。 中には10kgのお米、インスタントラーメン、カレー、そば、味噌、醤油などが入っていた。 それだけを見ると田舎の母からの贈り物の様である。 我が子を想い送った荷物、それには送り主の重く、深い愛情が込められている・・・ 

 
そんな荷物が全く顔も知らない人からの物だと言ったらどう思うだろうか? そうこの荷物は全く会った事も無い、顔も知らない人からの物なのだ・・・・


 ワシは少し前からプロレスのマスクマニアの集まる掲示板でチョコチョコ書き込みをしていた。 ワシは中学の頃、新日本プロレスのタイガーマスクの大ファンでマスクも自作するような男だったので同じ趣味を持つ仲間とPCを通して会話するのが楽しかったのだ。 そんな掲示板には凄いマニアも多く、コレクション数がとんでもないマニアが居てそれを妬んで2ch絡みのクソみたいな連中(こりゃ失礼)が板を荒らしてとうとう閉鎖になってしまった。 

 でもその管理人さんとはメールでもたまに話していたので、なんとなく身の上話をした所、生活も大変そうだからと食材を送りますと言ってくれたのだ。 ワシはたまたま娘とPCをしていた時にメールが来て開いてみた。

その内容とは・・・




「こんにちわ
日々ご苦労様です。
掲示板を読ませてもらってお子様への愛情。  そして日々の生活を苦労なさっている事を理解しました。 
ボクは精神面においては何一つできませんが、一日一食と聞きましたので、ささやかで気休めにもならないとは思いますが、お手伝いをさせてほしいと思いました。
食材を送らせて欲しいなと。
勿論嫌なら断って頂いても構いません。
送料はボクが持ちますし「お返し」とかそういった考えは全く不要です。」



ワシはそのメールを見た瞬間、娘を抱っこしながら泣いてしまった。 いままで夫婦の間でさえ味わった事の無い思いのこもった文面に感動してしまったのです。 ワシは頭の中を「夫婦とは、友達とは何か・・ 今まで理解してたのだろうか?」という思いがグルグル回った。 最近も心労ばかりで胃が痛くて大変だったけど「世の中って捨てたもんじゃないな!」と強く思った。 

 
 思えば周りにはこんなワシでも助けてくれる人が居た。 野口五郎つながりで出会った人も、子供に服をくれたりお菓子をくれたり感謝してもしたり無い。 まだまだ自分は幸せなんだ! そう思えた出来事だった。
 

昭和51年 7月24日の日記 

1976年 7月24日は何をしていたんだべ。 行ってみるべ!


 7月24日 日曜 晴れ


 昨日、あゆみをもらいました(あゆみとは通知表である)でもあゆみを見ると成績が悪かった。 お母さんも「きっとこの程度だろう」と言っていました。 僕もビックリしました。2学期は頑張らないとダメだと思いました。
 


 どんなところがダメなのか良く考えないとダメですよ。


 子供の時の成績は悪かった。 いや今でも悪い。 だから親に見せるのも嫌だった。 書かれている事もだいたいいつも同じだった。 今、息子の成績も悪い。 遺伝だから腹も立たない。
 

我が息子

昨日は夕方4時に近所で餅まきがあると言うので息子2人と行ってきた。 息子は中3と中2なのでもう、出掛けようと誘っても喜ばないのだが「餅の中にお金が入ってるかもしれんぞ」と誘い行って来た。 最近では餅まきも珍しくなって滅多に無い。 なんだか風情が無くなったもんだ。 

 餅まきが終わって「どっかドライブしようぜ」と言うと「じゃあ温泉の隣の広場に行こう」と言うので行ってきた。 ここはまだ2人が小さかった離婚したばかりの頃、3人でよく遊びに来た所だ。 人はまばらでだだっ広い。 当時の事を思い出していた。


 息子はまだ4才と3才。 3人になり皆、口には出さないが寂しいという思いはビンビンと伝わって来ていた。 ワシはそれを打ち消すように2人と遊んだ。 3人になったが皆笑顔だった。 この広場で3人で写真を撮ったその笑顔が忘れられない。 ほんとうにいい笑顔だった。 ワシなりに全力で2人に愛情を注いできた。


 そんな2人ももう中学生。 口喧嘩もすれば言う事を聞かない時もある。 でもそれが嬉しい。 小さい時、息子たちの寝顔を見て不憫で泣いていた時、「早く大きくなってくれ! 可哀そうだと思えぬよう、早く反抗期になって減らず口を叩いて欲しい。 はやく憎たらしくなってくれ!」 そう思っていた。 


 中学生になったけどまだまだ幼稚で昔と変わらない息子にホッとしている自分も居る。 池に向かって「石切りしよう」と三人で平たい石を集め誰が一番多く跳ねるか競い合った。 ワシが投げると上手くいかず一回も跳ねずにドボン!と落ちた。 息子2人は草原に転げまわって大爆笑した。 幸せなんだなあと思った。 

いじめを無くすには?

やっぱり大人が悪いんでしょうねえ。 一律に体罰がダメという教育もいけないと思う。 叩かれても有難かった先生、親は居るし、叩かれなくても酷いと思う先生、親は居る。 やはり昔の大人は怖かったし一致団結していた。今は大人が一致していない。 つまり怒るのか怒らないのかの足並みが揃っていない。 


 子供は卑怯の固まりだ。 弱みを見せれば付け込むのは同然だ。 だから体罰出来ない、怒れない先生、親を見下し舐めるのは当然だ。 体罰といっても怪我をするほど殴れといっている訳じゃ無いがもっと大人が群れになって同じ意見を自信ありげに子供にぶつけなければいけない。 しかし、今時代は良かれと思って他人の子でも怒ろうものなら逆に訴えられそうで怖いのも事実だ。 


 昔、うちの親父が言っていた話を思い出した。 「今日、朝野球してたら高校生4人で一人を殴る、蹴るしててよ、 頭に来て一列に並べてグローブで全員顔引っ叩いてさ、ほれグローブに血着いてるべ。 したら「すいません」って言ってたけど「卑怯な事すんな!」て言ってやった」 今なら逆に親父が訴えられる可能性も無いとは言えないから怖い。 でもその場で苛められてた子供も苛めてた奴も親父に殴られた事が絶対に良かったと思うんだけど、それを教えと見るか体罰と見るかで全く違う
。 

嫌いな先生   問題児の友達

僕は問題児だった。 かと言って重大な事件を引き起こす訳では無いんだが、とにかく落ち着きが無く団体行動が苦手でワガママな性格だった為、クラスでも浮いていた。 でも友達が居ないかと言えばそうでもなく、みんなと野球をしたり普通に遊んでいた。 今、振り返っても自分はアホだったなあ と思うのだが当時は脳があんまり働いて無かったようだ^^


 そんなワシでも気に入ってくれた3~4年の担任、篠原先生。 いくら感謝してもしたり無い。 今、生きているのなら言いたい感謝の言葉は山の様にある。 それがとても悲しい。 


 4年生が終わり、5年になった時新しい担任になった。 とにかく相性が悪く上手く行かなかった。 別に先生が悪いと決めつける訳では無いが、とにかく嫌いな岡島先生だった。(仮名)  クラス対抗ソフトボール大会ではひとクラス男子で2チーム作るのだが他のクラスは最初からの決め事で同じくらいの強さの2チームを作るのだが、岡島先生だけは強いチームと弱いチームに振り分け、片方は決勝に、もう片方は23VS0で負けるという徹底ぶりだった^^ 子供ながらに「卑怯な奴」と思ったものだった。 

 そういう考え方も気に食わず常に反発しあう様な状態だった。 ある時、ワシがクラスの皆にちょっかいやイタズラばかりするので先生は「いいか、トルピーの周り3m以内には近づくな!」と皆の前で言った。 その日からワシは「遊ぼうぜ」と言っても「3m以内に行けないし」とか言われて友達が居なくなってしまった。 もう孤立無援である。 ワシは悩んだ。 どうすればいいのかと小さい心を痛めていた・・・・・ その結論は・・・





 ズバリ!  もっと嫌われている奴と遊ぶ!!である。  ワシは辛ければ辛いほど変に開き直れる所があった。 そりゃもちろん悲しいのだから遊び相手は必要。 選んでは居られない。 当時、ワシのクラスにはワシをも遥か凌ぐ問題児の下山が居たのだ。(仮名) 誰にも全く相手にされて居なかったのでその日から2人は友達になった。 奴も中々の強者で、教室でも棒を振り回し暴れ、ボロボロで真っ黒な靴の中敷きをむしり取ってはコップの水の中に貯めて喜んでいた(もはやまともには付き合っていられない) 図書館から借りた本を切り抜いてノートに張り付けるお茶目な性格なのだ(お茶目かよ・・・・・) 

  
 そんな奴だからもはや人間扱いなど先生にもされて居なかった。 そんな奴とワシがくっ付いたのだからもう、最強極悪コンビである。(って言う程酷い事してないのよ ほんとに) ワシはそいつしか居なかった。 家に連れて行った時、母は普通に暖かく迎えてくれた。 それが嬉しかった。 ワシは今、息子の友達で問題児と言われようが登校拒否してようがどんな奴でも差別なく、いや問題児ほどちゃんと接したいと思っているのは自分も問題児と呼ばれ、それでも見捨てなかった母が居たからだ。 


 そんな奴はある時事件を起こした。 犬に噛まれた腹いせに非常階段の3Fから犬を落として殺してしまったのだ。 どんな犬か見てはいないがクラスで犬の墓を作った事は覚えている。 先生も手に負えないとそいつの実家に近い学校に追いやってしまった。 そいつのお別れ会をやって、そういう時だけ先生も皆も妙に優しかった雰囲気に違和感を覚えた。 


 奴が居なくなって程なく、警察から「トルピーという奴は居るか?」と学校に連絡が入った。 当然ワシは授業を受けている。問題児でも不登校は無かった^^ 話によると、下山が授業をさぼり外をぶらついていて補導された。 そして名を聞かれ「トルピーだ」と答えたのだと言う。 ワシにはいい迷惑だ^^ でもなぜかワシは腹が立たなかったのだ。 なぜならそいつの頭にはワシが居たからだ。 問題児流の絆が見えたからだ。 

 そんな奴も岡島先生も今はどうして居るのか判らない。 生きているのか死んでいるのか。 なんとなく気になる今日この頃だ。 

腹立つ先生

と言っても昔、学校に居た先生ではなく、息子の担任だ。 息子は担任から「お前はオヤジに似て剥げる」と事あるごとにネタにされると言うのだ。 それを聞いたワシは「なに~コンチクショ~!」と文句を言いに行ってやろうと思ったがモンスターペアレンツになるのも嫌なので踏みとどまった。 しかし腹立つ。 

 先日息子が部活の試合をした時、たまたまその先生が来ていたので「先生、息子が剥げるってネタにして笑い取ってるってんでしょ」と微妙な嫌味を含めつつお笑いっぽく言ってみた。 先生は「 いや~ がははは」とバツが悪いのを誤魔化すかのように笑った。 

 ワシだって気にしてるのだ。 女性が「早く結婚しないのか!」と言われるなんて目じゃ無いレベルで気にしとるのだ! それを笑いに利用しやがって。 絶対、将来、先生の息子が大きくなったら「お前はオヤジに似てしゃくれる!」と言ってやる!

大津 いじめ事件

いじめは何処でもある。 ワシも小学生の時は体が大きく暴れん坊で友達と喧嘩したり、いじめみたいな事をした事もあった。 そりゃ陰湿な誰か一人を集中攻撃なんて事は無かったが。 TVで連日の様に報道されてるがやはり現場に居る先生がどうにかしなきゃならない問題だろう。 

 しかし、先生と言われる人間も性格は色々だから子供の悩みを見抜ける人、見抜けない人まちまちだ。 連日新たな事実が判明しどんどん問題が大事に発展している。  


「子供の雰囲気を見ればおかしな事は見抜ける」


 こう書けばあまりに偽善的で理想論を言う様な気もするが、少なくとも全く判らなかったという事にはなる筈は無いのでは?  今回の犠牲者もトイレで苛められている所に先生が駆けつけたが生徒の「大丈夫」という一言で喧嘩だと済ませてしまったらしい。 でも(仮に加害者と被害者が1体1として)2人の生徒を見ればそれが只の喧嘩か苛めか判りそうなもんである。 2人の態度、表情、性格、体格、判断する基準は沢山あるはずだ。 それを全く判らなかったとは担任であれば信じられない。 


 学校の先生になるくらいの人はある程度成績も良く優等生だったろうから問題児や苛められっ子の気持ちが理解できないのだろうか? よく判らない・・・・

昭和の日記

昭和51年 7月15日 木曜 くもり


 (しゅうじ) 


 今日、習字に行ったら、きとらさんが居ました。 きとらさんが星の玉子(星の王子の間違い)を書いていました。 先生が見たら「なんだこの字ちっちゃいべ。虫メガネ持って来い」と言いました。それから先生が「ちょろちょろするから、きとらちょろちょろだ」と言いました。 おかしかった。



 きとらさんは習字に行ってもちょろなんだね。


 小学生の3年間は習字に行っていた。 その割に字は下手だ。 習うと言うより友達も沢山居てワイワイ楽しんでいたという雰囲気だった。 だから楽しかった。  

八神純子コンサート 2012  札幌ニトリ

13日、午後6時半からの八神純子コンサートに行ってきた。 八神純子は当時、中学生だった僕が「ザ・トップテン」で良く見たなあという記憶だったのだが、調べて見るとトップテンが始まった頃には八神純子一連のヒット曲はすでに終わりを告げていたと知って「記憶って曖昧なもんだ」と改めて思い知った訳だ。

img3710291258482.jpg


 中学の時に良く見た・・・という記憶も「思い出は美しすぎて」「みずいろの雨」「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」が70年代終わりという事で全て小学生の時ではないか!と驚くのだった。 「パープル・タウン」になってやっと1980年に入るのだが「八神純子は80年代前期」と思っていた所以は「パープル・タウン」のインパクトによる物かも知れない。 

 
八神純子はそれまでの歌謡曲とは違う、新しいちょっとこじゃれた都会的な歌手、みたいなイメージがなおさら、80年代の象徴の様な勝手な記憶として残ったのかもしれない。 そんなこんなで札幌でコンサートをやるのもまあざっと30年ぶりくらいなんだろう。 八神純子は数年前から一度は生で聞いてみたいと思っていた歌手だ。 これを逃す手は無い。 会場入りすると思ったよりも年齢層は高く平均すると50代が主体という感じだ。 


 70年代、80年代の歌手の曲を生で聞く時に一番気になるのは「ちゃんと声が出るのか?」という事に尽きるが八神純子の場合、そんな心配は要らないだろう。 事実、コンサートが始まり歌声を聞いた時にビンビンに響き渡るハイトーンには感激するしかない思いだった。 ここら辺は流石と言うしかない。 天性の素質と言う物を感じずにはいられなかった。 


 中盤に歌った「ラブ・シュープリーム」。 宇宙戦艦ヤマト完結編の主題歌だったとは全く知らなかった。 だってヤマトに興味が無かったんだもん!!(波動砲発射! ドゴッ! うわ~~)


 終盤にはワシが一番好きな「ポーラー・スター」(今までポーラ・スターだと思ってたわい)には感動した。 最後の方はスタンディングになったが自然な感じで「いかにも気を使って立って盛り上げてます」的雰囲気が無かったのは好印象だ。 最後はお決まりの余力を残しのアンコール。 


 しかし、コンサートでいつも思うがアンコールとは客の熱い要望が形になって自然発生するもんだと思うのだが最初からセットリストに入っているのもどういう物か?と考えてしまう。 でもまあ今回のコンサートは実に盛り上がりも良く何より八神純子も歌声が最高だったので良しとする。


 終演後はCDの購入者に握手券が配られ握手出来るのだが大行列で一時間程も握手会が続いた。 AKBの様に流れ作業では無く一人一人ちゃんと会話し手を握っていて実に好印象なのだ。 CDの売り上げもかなり良かった。 結局、全てが終わったのは22時くらいになったので出待ちも殆ど居なくて4人しか居なかった。 それでもその中の一人、室蘭から来ていた神田山陽に似た男性と仲良く会話し待っていたら八神純子さんが歩いてきて目の前を通ってタクシーに乗り込んだ。 八神純子さんは手を振って走り去った。 この時間まで粘って待ったかいがあったのだった。 北海道の中で4人の出待ちの中に入ったという事は八神純子全道大会の準決勝レベルという事である(どういう事よ?) つまりもうちょい頑張れば全国大会出場だ(なんなのさ)


 帰り際にはコンサートスタッフの若い男性が律儀にも「有難うございました」と見送ってくれ、ワシは感激し感謝のハグをして^^帰って来たのだった。 全体的にファンに親切な演歌歌手の地方巡業を思わせるサービスぶりには感心させられた。 非常に満足度の高いコンサートだった。  

今日の日記

昭和51年 7月13日  火曜 晴れ 


 (友だち)


  のとやくんが引っ越しになりました。 引っ越しするのは3年4組一人目でした。どういう学校に入るのかな。



 のとや君、転校するけどどんな気持ちですか。

 小学校時代は転校して行く友達も数人いたけど悲しかったなあ。 でも子供ってすぐ忘れちゃう。 悲しいというか、それでいいというか。 僕も4年生の時に転校した親友に会って見たいなあ。

今日の小学生日記

昭和51年 7月9日  金曜  晴れ


 (こめとぎ)


 僕は今日で2回目のこめとぎをしました。 家のごはんは麦が入っているので水を流すとき麦が流れないように気をつけました。お母さんは こめとぎを手伝ってくれるだけでも助かる と言いました。


 すごいことをやれるんだな。 みなおした。


 
 昔、我が家は麦ごはんだった。 なんだか懐かしい。 また炊いてみようかな

人間生きてりゃ誰だって

悩みや落ち込む日だって当然ある。 なんかミキティが「死にたい」とかツイッターで言ってたらしいよ。他人にとっちゃあバカバカしい悩みも当人には深刻な事態であるだろうし、本人の悩みは本人にしか判らない。 よく悩み相談を受けて理路整然と答えを返し、でも悩んでる本人がその答えに納得しないと怒る人が居るが、悩んでる人だって当然、ある程度の答えを知っていてそれでもなお、話を聞いて欲しいだけというパターンが多いと思うけどね。 なんの話だ?

 
 部屋の片隅にこれが落ちていた。 


 DSC05841.jpg


 こんなゴミ普通、何も考えずにポイっと捨てる、いや投げるだろう(北海道的には) だけどこんな物でも簡単に投げられないんだなあ・・・・ ゴミでしか無いのに。

 

 冬に娘と紙粘土で遊んでいて竹串に3つ黄色い団子を作って団子3兄弟ってあげた中の一個がころがってたんだよね。 それを見るとあの時ああやって遊んでいた、娘の笑顔と同じ部屋で一緒に遊んでいた時間がブワーっとワシを包んで襲ってくる。 ワシはしばらくその攻撃を受けると何もかもが虚しく、悲しく動けなくなるのだ。 当たり前と思っていたものが当たり前で無くなる時、人は死ぬほど悲しくなるよね。




 
 

すっかり忘れていた日記 

完璧に忘れていた小学生日記。 思い出したように復活(すんなよ)


 昭和51年 7月6日  火曜 晴れ

 (たけのこ)
                         

                         
 今日、おじいちゃんとおばあちゃんがニセコへ行ってきました。 

  何か大事な事がぬけている。    
                              


僕も皮むきを手伝ったけどマンガが始まったので止めました。 たけのこに皮が無かったらどんなに楽だろう。 

 

 たけのこに皮が無かったら楽だろうな。 先生もそう思う。



  昔は良く爺ちゃん婆ちゃんがたけのこ採りやフキ採りに行っていた。たまに一緒に行って採るのが楽しかった。 山になったタケノコの皮むき作業は当時のイトコのお寿司屋さんの風物詩だった。 懐かしいのだ。

カラオケ オフ会 INキャッツアイ

7月1日の日曜日、念願のカラオケオフ会が行われた。 場所はキャッツアイだ。 集まった5人のメンバーはほぼ初顔合わせだが、カラオケJoyの動画公開でその姿を見ていた為意外とすんなり打ち解ける事が出来た。


DSC05784.jpg



 写真の中の金髪薄毛男がワシである。 40になってからカラオケにはまった遅咲きである。現在は寂しい独身である。 


右隣の男性は通称「きしん」さん。 主に昭和歌謡を好みその恐ろしくマニアックな選曲ぶりは他の追従を許さない。マイタンバリンを持参し、曲の振付も熟知する強豪である。 彼も独身だ。誰かいい人が居たらご一報を! 

DSC05782.jpg


 ワシの後ろに居る女性は通称「キキ」さん。 昭和歌謡やアニメを得意とし、中でもコスプレの衣装を袋一杯に詰めて駆けつけるあたりは我がカラオケ仲間の衣装部員という感じだ。 ワシとヤッターマンをしてくれた人だ。乗りが良く会を盛り上げる重要人物である。 


 後列真ん中の女性は通称「なおなお」さん。 歌唱力に定評がありいつもヒトカラばかりで動画にも映らないというポリシーだったが今会では動画に移りますますパワーアップしている。 声量が凄く、いつも音量ガンガン鳴らして歌っているが、その音量でワシが歌うと全く声が聞こえなく成るほどである。 古い歌から新しい歌、アニメ曲まで幅広くこなす人なのだ。 


 閉めは後列右の通称「ねるぷり」さん。 昭和歌謡を愛し落ち着いた歌唱力を聞かせてくれる。 今回はアニメ曲やコスプレにもチャレンジして今後ますますの期待がかかる人である。 ワシと一緒に「ヒデとロザンナ」を歌ってくれたのだ。 次回は「つなき&みどり」を歌おうと約束している。 


 今回はほぼ初対面のメンバーだったがすぐに馴染み楽しく盛り上がれ、酒匂の1日になった。 早くもメンバーからは次回に向け新しい曲の開拓に勤しんでいる様である。 第一回はあくまで序章である。 次回からますますパワーアップするのは確実だろう。 コスプレ度もかなり上がる筈である。 その時までまた、計画を立てる日々である。 

バイクは暴走が許される?

先日次男と車に乗っていたら左側路肩をバイクが走り抜けて行き、まだ青にならない信号を突っ切って行った。バイクには良くある光景だ。 それを見ていた少しすっとぼけた次男が言った。



 「バイクって赤止まんなくてもいいの?」  


         いいわけねえだろ~~♪ (次男は中学2年生~~♪) 

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。